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左義長、どんど焼きの起源といつやるのかな?横浜、東京じゃどこに行けばいいのかな?調べてみた!

    
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通称どんど焼き、正式名称は左義長っていうんだって。何気なく火祭りで楽しそう、ワクワクするというのは僕だけだろうか?子供のころは火を焚いてお菓子がもらえるっていう事でよく言っていたような飯奥があるが、横浜、東京じゃどこでいつやるのか調べてみた。

 

左義長(さぎちょう、三毬杖)とは、小正月に行われる火祭りの行事。地方によって呼び方が異なる(後述)。日本全国で広く見られる習俗である。

 

す~さんの住んでる近所じゃ、毎年15日前後に海の公園でどんど焼きやっていた労に記憶している。海の公園は15日に近い土曜日にやっているようだ。つまり今年2017年は1月14日のようだ。

>>>横浜海の公園のどんど焼きはこちら

 

 

どんど焼き、左義長ってなにやるの?

1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた餅(三色団子、ヤマボウシの枝に刺した団子等地域によって違いがある)を食べる、また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われている。道祖神の祭りとされる地域が多い。

民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。お盆にも火を燃やす習俗があるが、こちらは先祖の霊を迎えたり、そののち送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられている。

とんど(歳徳)、とんど焼き、どんど、どんど焼き、どんどん焼き、どんと焼き、さいと焼きとも言われるが、歳徳神を祭る慣わしが主体であった地域ではそう呼ばれ、出雲方面の風習が発祥であろうと考えられている。とんどを爆竹と当てて記述する文献もある。これは燃やす際に青竹が爆ぜることからつけられた当て字であろう。

子供の祭りとされ、注連飾りなどの回収や組み立てなどを子供が行う。またそれは、小学校などでの子供会(町内会に相当)の行事として、地区ごとに開催される。

地方によって焼かれるものの違いがある。

  • だるまを焼くかどうか
    1. 縁起物を祭りで焼く事により、それを天にかえす
    2. 目がつぶれるとされ、祭りでは一切焼かない
    3. だるまそのものが登場しない

橙(みかん)は代々続くようにと子孫繁栄を願った物を、燃やし易くする為に踏み潰す事が縁起上良くないとされる。実施する地域の分布図や形態については、川崎市民ミュージアムに展示がある。また、実施しない地域でも、ある特定の日にお札を焼く行事を執り行う地域がある(12月29日など)。近年では消防法やダイオキシン問題で取りやめているところもある。

 

 

 

 

どんど焼き、左義長の起源は?

『弁内侍日記』建長3年1月16日(1251年2月8日)、『徒然草』に見られることから、鎌倉時代にはおこなわれていたらしい。起源は諸説あるが、有力なものは平安時代の宮中行事に求めるもの。

 

当時の貴族の正月遊びに「毬杖(ぎっちょう)」という杖で毬をホッケーのように打ち合うもの(「打毬」)があり、小正月(1月15日)に宮中で、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖3本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事があり[1]、その年の吉凶などを占ったとされる。

 

すなわち、山科家などから進献された葉竹を束ねたものを清涼殿東庭にたて、そのうえに扇子、短冊、天皇の吉書などを結び付け、陰陽師に謡い囃して焼かせ、天覧に供された。『故実拾要』によれば、まず烏帽子、素襖を着た陰陽師大黒が庭の中央に立って囃をし、ついで上下を着た大黒2人が笹の枝に白紙を切り下げたのを持ち、立ち向かって囃をし、ついで鬼の面をかぶった童子1人が金銀で左巻に画いた短い棒を持って舞い、ついで面をかぶり赤い頭をかぶった童子2人が大鼓を持って舞い、ついで金の立烏帽子に大口袴を着て小さい鞨鼓を前に懸け、打ち鳴らしながら舞い、また半上下を着たものが笛、小鼓で打ち囃す。毬杖(ぎっちょう)3本を結ぶことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれた。これが民間に伝わり、現在の形になったとされる。

 

 

どんど焼きの呼び名の由来は?

どんど焼きという名前については諸説あるのですが「尊(とうと)や尊(とうと)」と囃しながら櫓で火を燃やしたのが、後に訛って「どんど」に変わったという説や、どんどんと燃える様子から名付けられた説などがあります。

また、どんど焼きは「左義長(さぎちょう)」とも呼ばれますが、これは左義長が平安時代に宮中で青竹を束ねて立て毬状三本を結び、その上に扇子や短冊などを置いて陰陽師が謳い囃しながらこれらを焼いた行事が元となっています。

後にこの行事が庶民の間に広まって今のどんど焼きとなったとも言われています。

 

 

 

神奈川県のどんど焼き、左義長で有名なところは?

神奈川県大磯町の左義長は国指定の重要無形民俗文化財で、セエノカミサン(道祖神)の火祭りとして、毎年1月14日近辺に大磯北浜海岸で行われている。松の内(1月7日)が過ぎると子どもたちは正月のお飾りを集めて歩き回り、青年たちはセエトの材料となる松や竹を調達する。

 

次いで、町内各所に大竹やおんべ竹を立て、町内境に道切りのシメを張るほか、セエノカミサンのお仮屋を作り子どもたちが籠る。祭り当日、町内各所のおんべ竹やお仮屋などが片付けられ、集められたお飾りや縁起物は浜辺に運ばれ、9つの大きな円錐型のサイトが作られる。

 

日が暮れるとセエノカミサンの宮元や宮世話人が、その年の恵方に火をつける。この火で団子を焼いて食べると風邪をひかない、燃やした書き初めが高く舞い上がると腕が上がる、松の燃えさしを持ち帰って屋根に載せておくと火災除けのまじないになる、などともいわれている。

 

参照:ウイキぺディア

 

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